夏休みといえば…3

夏休み、いや、もはやあんなに暑かった夏さえも通り過ぎた。頭の隅にはブログの続きを…と思いつつも書くタイミングを完全に逃したことで、また今度でいいかを繰り返し今日に至る。季節は秋、日に日に涼しくなり、爽やかさに包まれている。そんな折ではあるが、「魔女の宅急便」最後の感想文を書き、これで仕上げとしたい。


キキがほうきで宅急便の仕事を始め、出会ったお客様の中に、青い屋根の家に住む老婦人がいる。孫娘にニシンのパイを焼いた老婦人、と言えばだいたいの人が「あぁ!」と思い至るのではないか。

老婦人と孫娘のストーリーでは、孫娘が「あたしこのパイ嫌いなのよね」という一言に焦点が当たりがちだ。老婦人が苦労して作ったパイに対してこの一言、なんと嫌な孫娘なんだという感想を抱く方も多かろう。私も小さな頃にこの場面を観て、ドキッとさせられたことを覚えている。当時は「せっかくの贈り物になんでこんなこと言うんだろう」という程度だったかとは思うが。

しかしながら、観る度に違った気持ちを抱かせるのが魔女の宅急便のすごいところだ。今になってこのシーンを観て思うのは、「自分の頑張りがいつでも評価されるとは限らない」のだということ。孫娘はオーブンが壊れたことも、汗をかきながらキキが必死になって急遽かまどで焼き上げたことも知らない。急な雨に降られてびしょ濡れになりながらほうきで飛ぶことがどれだけ大変なことか、魔女でない彼女には分からないだろう。彼女に見えているのは、おばあちゃんからいつも贈られるニシンのパイ。それを見てポロリとこぼした何気ない本音なのだ。

人生ではこういったことはまま起こる。仕事でも子育てでも、あれ?と肩透かしをくらうことは珍しいことではない。頑張りが必死であればあるほど、押し寄せる虚しさは言葉で言い尽くせないものである。しかし、こういうときには、なかなか難しいのだが、虚しさにのまれて自暴自棄になったり、相手に怒りを向けないようにしたいと思っている。少し落ち着いて、まずは自分の頑張りが独りよがりではなかったかを振り返る。そうでないのならば、相手から思うような反応が得られなくてもあまり深く気にしないことだ。自分なりにできることはやったのだから、それでよし、である。


最後に、ジジのことを。ジジは物語の中盤から人間の言葉を語らなくなる。これについては、キキの魔力が弱まっていてジジの声が聞き取れなくなったという説や、そもそもジジは人の言葉を話してはおらず、全てキキの心の声であるという説など色々あるのだが。

私は、ジジが人間の言葉を話さなくなったのは彼が恋をしたからだといまだ信じて疑っていない。可愛らしい猫との出会い。彼女との世界に、本来の猫である彼の世界に戻っていったのではないだろうか。

そんな誰も納得しないような解釈があっていいのか、と思われるかもしれない。でも、どんな風に受け止めてもいいのが小説や映画、物語の素晴らしいところだろう。私には、恋をしたジジの可愛らしい鳴き声がとても愛おしく響く。


さあこれで、私の拙い感想文は終わり。時間はかかったが、魔女の宅急便を振り返りつつ、とても楽しく書くことができて満足満足。懲りずにまたブログ更新しますね!

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