ここ1、2年くらいだろうか、うちの旦那さんはゴルフに没頭している。ちょっとした隙間時間があれば打ちっぱなしに行き、家ではYou Tubeで熱心にスイングの勉強に励み、ラウンドへ出ては結果に一喜一憂している。
日頃の努力と運が味方したのか、先日はホールインワンを決めてきた。証明書を家族に見せびらかしては、額も買ってこなくちゃ、と子どものようにはしゃぐ姿に思わず笑ってしまった。
ついこの間は、一緒にどう?と誘われて私も打ちっぱなしへ初めて行ってきた。これまで球技とは無縁だった私にとっては、クラブを上から下に振るだけで精一杯で、体の動きもぎこちなく、当然ながらボールはあっちへこっちへ忙しく飛んでいった。そんな私を見て「前に飛んでいるから大丈夫!」という、ものすごいポジティブな励ましをくれた旦那さんと、いつかラウンドへ行ってみたいなと思ったのだ。
こんな話をすれば、仲が良いねと思われるかもしれない。でも正直、子どもたちが小さな頃は、夫婦でこんな風に楽しい時間を過ごせたことはあまりなかった。
子どもたちが小さい頃、旦那さんは事業の立ち上げをしていて、寝ても覚めても仕事仕事、そういう生活だった。心身ともに全力で、事業をなんとか軌道に乗せるため必死だったように思う。
私は私で、親元から離れた知らない土地で年子3人を育てる、育てるというか、もはや子どもたちの命を守るのに粉骨砕身といった毎日だった。
お互いにお互いを気遣う余裕などなかった。とにかくそれぞれが、やらなければならない使命を果たしていた感じだ。
旦那さんの仕事が大変なことは重々承知だったけれど、それでも「どうして私ばかり」と落ち込んだりイライラすることはたくさんあった。鬱憤をためては時々爆発させて、旦那さんにぶつけることもあった。
そんなことをいつまでも繰り返すことは、夫婦のためにも子どもたちのためにも良くないと気づいていたから、次第にこのイライラの正体を突き止めなければ、という思いに駆られた。
そして気づいたのだ。私をイライラさせるのは、子育てにおいて旦那さんの協力がなかなか得られないことではなかった。家にいる時間が圧倒的に少ない彼に、協力してもらうことが現実的に難しいことはよくよく理解していたから。だとしたら原因は何か、それは「私だけが苦労をしていてフェアじゃない」と感じるからだった。
この感情は厄介だった。イライラしている私を仮に旦那さんが手助けしたとしても解消されないのだ。根っこにあるのが「あなたも私と同じように苦労してよ」そんな気持ちなのだから。そして何より、育児に割ける時間が違う彼に、私と同じように苦労することなど不可能だから。私が思い改めなければいつまでたっても解決されない問題だった。
でも、イライラの原因に気づいてからは、不思議と少し気持ちが楽になった。絡まっていた糸がほどけたようだ。当然イライラすることもあったけれど、感情をぶつける前に「いやいやちょっと落ち着こう」と、そしてこんなに大変なことがあったんだよと冷静に話せるようになった。
同じように苦労してほしいと思うと、旦那さんに投げる言葉は刺々しくなるものだが、そもそも同じように苦労することなど不可能で、そんな必要なんてないと思えたら、選ぶ言葉も変わってくる。私が紡ぐ言葉が変われば、相手から返ってくる言葉も変わる。旦那さんから私の苦労に寄り添う気持ちさえもらえたら心がスッと軽くなることも分かった。
怒涛の幼児期は嵐のように去り、今や子どもたちも小学生。育児も一段落だ。旦那さんも当時の激務に比べると、今は比較的落ち着き安定している。お互いにホッと一息ついた今こそ、改めて夫婦として過ごす時間や関係性を確かめておきたいと思った。
子はかすがいとはよく言ったもので。私達夫婦も例に漏れず、子どもたちに支えられてここまでやってきた。しかし、何度となくここに書いているが、子どもたちはいつか巣立っていく。そのとき夫婦2人、どんな風に過ごしていけるのか。それってとても大切なことだ。私は彼と、少しでも長く楽しく、笑って過ごしたいと思っている。
苦労をフェアに分かち合うことは出来ないけれど、楽しみを分かち合うことは容易にできるのだから。
ゴルフだって、2人の時間を楽しく過ごすための方法の一つだ。これからもたくさんの喜びを一緒に共有していきたい。
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