コロナ禍を経て、どこもかしこも「変化」を余儀なくされている。職場も、子どもたちの通う学校も。私自身、変化を受け入れる側でもあり、その変化を作り出し、発信する側でもあった。
変化の発信側になってみて気づいたことがある。現状の仕組みを変えたいとき、それは概ね発信側にメリットがある場合が多い。メリットというと少しニュアンスが違うかもしれない。仕組みを変えることで発信側の負担が軽くなったり、リスクを回避できたり、そんなところだろうか。
変化をもたらすとき、発信側の都合で乱暴に推し進めてはいけない。受け手への配慮を最大限にするべきだと、私は思う。
私の考える配慮とは、受け手全員を納得させることではない。反対意見、それは何をしたって生まれるので致し方ないこと。こちらの意図を丁寧に説明するより他ない。発信側は全員に賛成してもらうことを目指すのではない。
そうではなくて、大事なのは、新しい仕組みについていけない人を見捨てないことだ。わかる人だけにわかればよい、それはあまりに勝手だから。誰のことも取りこぼさないこと。対応できない人への配慮、これは絶対に必要なことだ。
そして、変えることを決めたのであれば、熱意を持って最後までやりきらなければいけない。中途半端は混乱を招くし、どちらにとっても良い結果にはならないから。
今日のブログは、なんだか抽象的な内容になってしまって、読み手の皆さんには伝わりにくかったかもしれない。身近に起きたモヤッとする出来事が、あまりに具体的すぎてここに書き記せなかったのだ。それでもどうしても心に留めておきたくて。忘れてはいけないことのような気がして。
自分の立場をよく理解した上で、いつでも思いやりをもった人間でいたいと思う。
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