こどもがつなぐ縁

「ママ友」

10年ほど前の私は、この言葉に対して眉をひそめ、本当に必要なの?と斜に構えていた。子ども同士のトラブル回避、そして母親同士がうまくやり過ごすための表面的な関係を表現した言葉だととらえていたからだ。

…いや、今思えばそれは自分を納得させる言い訳だったのかもしれない。

わが家は学年的には違えど、月齢的には年子の3きょうだいだ。ものすごく引っ込み思案な長女、泣き出したら止まらない長男、あまりにも自由な次女。児童館に繰り出して、ママ友とおしゃべりをしながら子を見守るなんて当時の私にはとても想像がつかなかった。子どものためには、同年代の子たちと遊ばせた方がいいと思っていたが、どうにも気が進まなくてそういった場所には足が向かなかった。公園もできるだけ人が少ない時間帯をあえて狙って行ったものだ。

そんな自分をなんとか肯定するために、ママ友なんて、と強がっていたのだと思う。


そんなわけで、同年代の子たちとの触れ合いもほとんどない状態で長女は幼稚園に入園することとなった。当然ながら行き渋りもあり、紆余曲折を経て、登園にも少しずつ慣れて数ヶ月がたった頃だ。長女をお迎えに行くと、いつも同じ女の子と遊んでいることに気がついた。引っ込み思案の長女も、彼女なりのペースで気の合うお友達を見つけたんだなとホッとしたのを覚えている。

そしてほどなくして私も出会ったのだ、その長女のお友達のママさんに。何度か挨拶を交わし、何気ない話をするうちに、あ!この人だ!と私は思った。ママ友に対してあんなに構えていた私が、彼女とはとても自然に色々な話が出来たからだ。

それは多分、子育てに対する考え方がとても近かったからだと思う。子どもに対して一生懸命になりすぎない力の抜け具合というか、子ども自身の成長を信じようという塩梅が私のそれとピタっとあう感じがした。そしていつもヒヤヒヤしていたわが家の長男や次女のことを、いい意味で笑い飛ばしてくれる懐の深さにも感動して、私はすっかり心をほぐしたのだった。

同じような考え方の母親に育てられたから、娘たちが引き寄せあったのかは分からない。でも、娘たちのおかげで私は彼女と出会うことができた。娘たちが高学年になった今でも、彼女とは世間話も立ち入った話も、お互いになんでも話せる心の友だ。


ママ友は頑張って作る必要はない、それは今でも思っていること。ママ友を増やしてどこかのグループに所属していないと、子ども同士がうまくやっていけないなんてことは決してないからだ。親が何もしなくたって、子どもたちは勝手に気の合う友達を見つける。大人よりもずっと素直な心で、上手に。

しかし、子育ては長い長い道のりだ。一人で歩ききるにはあまりに険しい。道の途中、子育てに対する考え方が似たママさんにきっと出会うだろう。そんなママさんに対しては、躊躇せず自分の心を開き、思い切って相手の胸に飛び込んでいくべきだ。寄り添って歩き、喜びを分かち合い、時には傷つき疲れた心を慰めあうことができる存在がいること。これほどまでに心強いことはない。

私はこれからもママ友である彼女と、娘たちの成長を共に喜び、励まし合いながら一緒に歳を重ねていきたいと思っている。

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