先生

「ママ、私もう音楽嫌いになった!」

そう言ってきたのは高学年になる長女だ。話を聞けば、音楽の教科担当の先生との相性が悪いとのこと。先生の都合通りに物事が進まないと、生徒側の主張を聞くこともなく、頭ごなしに叱ってくることがどうにも受け入れられないらしい。その結果、音楽の教科自体も嫌いになったということだった。

少し前からこんな風に先生への不満を口にする娘に、そんな年頃になったんだなと成長を感じている。大人の言っていること全てが正しいと信じて疑わないところから、彼女なりの論理で、大人に対していっちょ前に腹を立てるようになったのだ。そんな娘を見ては、私も学生時代に先生に対して感じたことが色々とあったなぁと思い出した。


それは確か中学2年生か3年生の頃だったと思う。数学は嫌いというほどではなかったが、苦手意識があり熱心には勉強していなかった。そんな私の前に数学担当として若い男の先生が現れたのだ。周りを見渡せば自分の親かそれ以上の年齢と思われる先生たちの中で、明らかに異質な存在だった。

ほんのり福山雅治に似ていた先生は、当然生徒たちの間で話題の的となった。かっこいいと熱狂する子もいれば、なんだかナルシストっぽいと嫌悪する子もいた。どちらも思春期ど真ん中の反応らしいなと、今になると思う。当時の私はというと、わぁ素敵だなとは思ったが素直にそう話せなくて無関心のふりをしていたように思う。そして何より、他の感情と出会うこととなったのだ。

数学の授業では定期的に宿題の提出があり、ノートを出さなければならなかった。「あ、先生にノート見られるんだ。なんか恥ずかしいな。」これがきっかけだった。ノートにせよテストにせよ、間違っているのを見られるのが恥ずかしい、という気持ちが私の背中を猛烈に押した。人生で後にも先にも、この1年間より数学を勉強したといえる期間はないだろう。それほど熱心だった。

その情熱は、高校に進学し、どことなく自分の父に似た数学の先生との出会いによってすっかり冷めた。今思えば決して悪い先生ではなかったが、当時の私は父への反発があり、先生には完全なる流れ弾が当たったのだ。私は「数学を勉強しない」という形で先生に反発した。数学が大学の受験科目になかったことも追い打ちをかけ、先生の目の前の席で居眠りをしたり、授業中に他教科の勉強をしてこっぴどく叱られたこともあった。生意気な高校生の私は、何が悪いんだとばかりに不貞腐れ、ますます勉強しなくなった。当然、私は毎回のテストで赤点との闘いを繰り広げることとなる。テストに記された☓が、それみたことか!という先生のメッセージにも見えて一人腹を立てていた記憶がある。苦い思い出だ。


先生に対する気持ちが、そのまま教科と向き合う気持ちにすり替わる。娘の音楽に対する思いはそれと同じだろう。私のひねくれた理由と比べると、小学生の娘の方がよっぽど真っ当な理屈で先生に反発している気がしてきた。それにしてもそのせいで音楽という教科自体を嫌いになるのはなんとも残念だと思うが、これに関してまったく偉そうなことは言えない私はダンマリである。

願わくば、先生が好きだから、先生の担当教科も好き、と言える教科が娘にひとつでも見つかればいいなとひっそりと思っている。

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