ガーデニングが好きだ。季節ごとに移り変わる庭の表情に、心が豊かになるのを感じることができるから。そしてなにより、植物たちが健やかに育つ姿は愛おしい。
好きとはいえ、今まで植えた植物たちがすべてすくすくと育ったわけではなく、もちろん枯らしてしまったこともあるし、思っていた姿にならなかったこともある。反対に、思いがけず立派で美しく成長してくれたものもある。日の当たり方、風通し、土…色々な条件が組み合わさって、それぞれの植物に適合すれば上手くいくし、そうでなければ上手く育ってはくれない。
庭を持つ人なら悩んだことがあるのではないだろうか。グラウンドカバーをどうするかである。わが家は隣家との関係で庭の日当たりがあまり良くない。夏も午後の早い時間、冬は午前中のわずかな時間までしか日が当たらないのだ。そのため早々に芝は諦めた。代わりにヒメイワダレソウを植え、数年は見事に美しく覆ってくれたのだが、ある年を境に一気に枯れてしまった。原因は今でも分からない。
リトライとばかりにもう一度ヒメイワダレソウを植えてみたがあまり茂らなかったので、ヒメツルソバを植えてみた。彼らは比較的元気で、毎年こぼれ種で少しずつ増えてくれている。…と、私が枯れたイワダレソウをどうしたものかと頭を悩ませ、試行錯誤している間に、わが家の庭でいきいきと育ったのがカタバミたちである。今や堂々たる佇まいでわが家の庭を覆っている。
芝なりイワダレソウなり、1つの植物で覆われた方が庭として美しいのかもしれないが、これに関してはもう諦めた。背丈の高い雑草でなければ、共に生きようと、勝手にそんな気概を持っている。
かれこれ数年にも及ぶわが家のグラウンドカバーたちの成り行きを見ていて感じるのは、植物というのは勝手に棲み分けるということだ。人の手が入らなければ、「ここからここまでが私の場所です」などというやりとりなど行われるはずもない。自分の性質に合った場所があればそこでぐんぐんと成長するし、そうでなければあっという間に他の植物にとって代わられる。当たり前のようにも思えるが、自然は単純で、ほんの少し残酷なのだ。
彼らを見て思う。私たちは物事を自分ごとにとらえすぎているような気がする。何か上手くいかないことがあったとき、「私がもっとこうだったら」と自分を責めがちだ。でも自分の力の及ぶところなんて、思ったよりもずっと少ないのかもしれない。
植物たちでいう光や風、土のように、環境が私たちにもたらす影響はとても大きいのだ。だからといって、上手くいかなかったときは何かのせいにしようということではない。そうではなくて、いい意味で諦めることも大事だということだ。自分だけのせいではないのだから仕方ないと、必要以上に落ち込み続けないようにしたいと思う。
前向きに根を伸ばしていけば、顔を出した新しい場所で、もっといい風に出会えるかもしれないのだから。

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