大好きな先輩がいる。私の心の内側を、洗いざらい話すことができる数少ない人だ。先輩と向き合う私は、嘘も照れも見栄もなくて、いつだって等身大だ。
話は変わるが、私はなかなか特殊な環境で育った(と思う)
私は両親と父方の祖父母と一緒に暮らしていたのだが、祖父母の仲がすこぶる悪かった。仲が悪いというレベルではなかったかもしれない、同じ屋根の下にいるにもかかわらず、全くコミュニケーションがなかった。今振り返ってみれば、お互いにお互いの顔を見なくてすむように、会話をしなくてすむように、生活時間をずらしていたようにさえ思う。そして祖母は時々私に、祖父のことを悪く言ってこぼしたのだ。
さらに、私の実家は自営業であった。家庭と仕事の境目はとても曖昧で、実家の居間にはお客様がいることも多かった。これは仕方のないことだが、商売である以上、建前と本音が存在する。両親にとって、いいお客様もいれば、もちろん苦手なお客様もいた。それでも両親は分け隔てなく、同じように接する。陽気に、そして和やかに。しかし、お客様が帰れば…その後のことは言わなくてもわかるだろう。両親の本音が漏れ聞こえるのだ。
そんな環境で育った私であるが、これが当たり前であったし、当時は何も苦痛には思っていなかった。家族が私に対して悪意を持っているわけではなかったし、むしろ祖父に関していえば、母が頭を抱えるほど強烈に甘やかされた記憶すらある。
それでも、今になって思えばこうした環境が私の性格に与えた影響は大きいように思う。私は、自分の言葉や行動が、誰かを嫌な気持ちにさせているんじゃないかと心のどこかにいつも不安がある。同時に、他人に嫌われることへの怖さから、いつも誰にでもいい顔をする八方美人だ。
さて話は戻るが、先輩とは今の職場で出会った。朗らかで、よく笑う人だなというのが最初の印象。先輩は一緒に働き始めると、難しいと判断したことは周りの人にどんどん助けを求めていく。例外なく、私にもだ。
私は逆に、誰かに助けを求めるのが苦手だ。なぜなら「嫌われるかもしれない」という不安がいつもつきまとうから。こんなことをお願いしたら迷惑がかかるかもしれない、嫌な気持ちにさせるかもしれない。そうなるくらいなら、多少難しくても無理をしてでも自分で頑張った方がいいと思っていた。だからこそ先輩の、誰の懐にもすっと入っていく姿には、ただただ感心するばかりだった。
他人の懐に入るために必要なこと、それは裏も表も持たないことだ。丸いボールのようにどこから見ても同じであること。
先輩にあるのは「私はあなたを信頼しているよ」という気持ちだけだった。この人はなぜこんなにも他人を信用できるのだろう、と思った。でも、私のもとにも転がってきた丸いボールは柔らかく、心地がよかった。そして自分を信頼してくれる相手に応えることで、私の心も満たされるのだった。
同時に、他人の裏表を気にして、誰にでもいい顔をする。そして「この人は私のことを嫌うんじゃないか」と疑う私にこそ、裏表があるんだということに気づかされたのだ。
先輩はもう退職されたが、今でも交流は続いている。先輩は今、資格取得に向けて勉強中だ。時々、「勉強が思うように進まないから助けて」というお願いをされる。私は、私でよければとすぐに駆けつける。このやりとりは変わらず心地がいい。
そして私も、先輩には丸いボールを投げられるようになった。「こんなことがあったんです、先輩聞いて」そうやって時には助けを求める。
先輩を羨ましく思う一方で、染みついた性格はそう簡単には治ることはなく、私は相変わらず八方美人だ。自分から相手の懐に飛び込むことはなかなか出来ない。だからこそ、そんな私が先輩のような人に出会えたことは幸運としか思えない。
先輩との心地いいキャッチボールはこれからも続いていく。
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