「ママ、昨日はさ、ごめんね。」
急に長女が言うので驚いた。よくよく話を聞けば、そんなこと気にしていたの?という内容だったけれど、彼女なりに反芻して考えて私に謝ってくれたようだ。私は「大丈夫だよ、謝ってくれてありがとう。」と返した。
何か間違ったことをしてしまった時、その直後に謝ることはそこまで難しくないように思う。そうではなくて、彼女は自分の行動を振り返って考えて、間違っていたと反省したのだ。しかも、そのことを後になってから謝ってくれた。これってなかなか、簡単にできることではないと思う。後になればなるほど、間違っていた自分の行動を蒸し返すのは心苦しいはずだから。
彼女は謝ることだけではなくて、感謝を後になって伝えてくれることも多い。彼女から時差でもらう「ごめんね」と「ありがとう」は私の心にじんわり効いてくる。相手のことを考えた時間の分だけ、言葉に心がこもるからかもしれない。
次女は天真爛漫を体現したような子。人の目や気持ちを気にしすぎる私にとってはいつも想像の範囲を超えてくる存在だ。
ピンポーン。次女のお友達が遊びに来る。
彼女は遊びたければ遊ぶし、遊びたくなければ遊ばない。インターフォンを見て家を飛び出していくこともあれば、「今日はお家で遊びたいの、ごめんね!」と言って断ることもある。はっきりと伝えるので見ているとヒヤヒヤすることもあるが、こんなに小さなうちから誰かに気を遣って生きることもないよな、とも思う。
「もっと自由に生きていいよ、ママ。」
彼女からはそんなメッセージをいつももらっていて、仕事や人間関係で気負いすぎているときには、彼女を見ると肩の力がふっと抜けていく。
さて、最後に息子のことを書きたいのだが…
彼は、長女のように自分の行動を振り返ることは得意ではないし、次女のように素直な気持ちで何でもできるわけではない。彼のことを言葉にしてさらさらと書き出せないのには理由がある。
彼の内面が、私に一番よく似ているからだ。
そのせいか、どちらかというと「もっとこうだったらいいのに」というところの方が目についてしまう。もっと言葉にして伝えればいいのに、もっと人の目なんて気にせずやってみればいいのに、という具合に。
これってつまり、私が私自身のいいところを感じようとしていないせいなのかもしれない。いわゆる自己肯定感というやつだ。彼のことを考えれば考えるほどに、私はもっと私自身を認めてあげなければならないな、そう思った。
息子は頑張り屋さんだ。小さなことをコツコツと積み重ねることができる。
漢字だって計算だって、丁寧に何度もやる。彼のドリルがんばり表は、ピカピカのシールでいっぱいだ。勉強だけじゃない。ゲームだって、難しくて目に涙を溜めながらも完全にクリアするまでやりこむし、庭の草だって「もう十分だよ」と言うまで隅々まで抜いてくれる。
彼はその小さな一歩が、いつか自分を遠い場所へ連れて行ってくれることを知っているかのようだ。決してずるをしない、ひたむきさがある。
彼のいいところは私のいいところ。自分に自信がなくなったとき、彼を見て彼のいいところを探してみよう。きっと元気になる、一番の特効薬になるだろうから。
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