猫と私 3

わが家にいるもう一匹の猫の話をしたいと思う。

彼がわが家にやってきたのは約4年前。トラもすっかりミドル世代になり眠っていることが増え、のんびりとした時間が流れていた時だった。自宅近くを散歩していると、ご近所さんがキャリーを抱えていたので思わず声をかけた。

「譲渡会に何度も参加したんだけど、この子だけなかなか引き取り手が見つからないのよ…」

そっとキャリーを覗くと、小さく震えるサバトラ柄の子猫がいた。その方によれば、子猫とはいっても生後約6ヶ月で他の子よりも大きめなこと、茶や白などの色に比べるとあまり目にとまりにくいことが引き取り手が見つからない原因らしい。

私は猫を飼って久しいが、子猫を見たのは初めてだった。最初に出会ったブーたんも、引き取ったトラもすでに成猫だったからだ。この時の気持ちはうまく言い表せない。正直なところ、ブーたんやトラに感じたような強烈な感情はなかった。でもその時、「そうなんですね、いい人に引き取ってもらえますように」と言えなかったことは覚えている。


家に戻ってもあの子猫の表情が頭から離れない。どこで保護されたのだろう。このまま引き取り手が見つからなかったらどうなるのだろう。何をしていても頭の中は子猫のことでいっぱいだった。こうなってしまっては、自分の性格的にも後には引き返せないことは分かっていたのだが、わが家にはトラがいる。引き取ることができるかは、トラとの相性次第であることは間違いなかった。

家族やご近所さんとも相談し、お試し期間を設けた上で彼を受け入れてみようということになった。どうしても相性が悪い場合には無理して引き取らない方がお互いの猫のためだからだ。こうしてわが家での2匹の生活が始まったのだった。


ケージの隅でじっとこちらの様子をうかがう姿。あぁ見たことがあるぞ、と私は思った。かつてトイレの隅でこちらを見つめていたトラの姿と同じだった。こっちに来るなよ、という彼の気持ちが伝わってくる。ご飯をケージに入れようとすれば猫パンチ、シャーッと威嚇。精一杯の抵抗を見せる彼には申し訳ないが、うちにやってくる子はみんなこうなの?と、私は思わず微笑みすら漏れた。一筋縄ではいかないトラと何年も暮らしてきた私にとってみれば、彼の小さな抵抗なんて可愛らしく思えるくらいだった。

心配なのは彼が私たちに懐くかどうかではない、トラとうまくやっていけるのか、である。ケージ越しの対面をハラハラしながら見守る私をよそに、2匹はすんなりと挨拶を済ませた。むしろ、私たち人間には威嚇をする彼が、同じ猫であるトラを頼りにしているようにすら見えた。

「いったいここはどこなんです?安全なんですか?」

「まぁ、大丈夫だ。安心しなさい。」

…という会話があったかどうかは定かではないが、私の心配は無事杞憂に終わり、彼を引き取る運びとなった。キリッとしたかっこいい名前がいいと思い、ルイと名付けた。怯える姿が印象的だった彼に、これからは対照的に生きてほしいと思ったからかもしれない。


ルイは駅前で保護されたそうだ。そのせいかビニール袋があるととにかく齧らずにはいられないようだった。そうやってなんとか食べ物にありついてきたのだろう。人が捨てたゴミ袋を漁るルイの姿を想像しては、トラのとき同様言いしれぬ切なさに胸を痛める私は、なかなか想像力が豊かだと思う。

しばらく一緒に暮らすと、ルイはペロペロと私たち家族の指を舐めるほどに懐いてくれた。そして驚くほど賢かった。家中のドア、クローゼット、押入れは開けることができ、自由に行き来する。おもちゃで遊んでほしいときは自らおもちゃを咥えて持ってきて、私の目の前に落とす。なかなか遊んでもらえなければ、私の大事にしている観葉植物にイタズラする素振りを見せるのだ。

そして今、トラとルイの関係をあえて表現するならば「親分子分」のような感じだろうか。ルイはよくトラを気にかけていて、トラがドアの前でニャーと鳴けばドアを開けるし、眠るときはトラの近くで眠っている。トラもそれをよしとして受け入れているようだった。

これが、猫と私。彼らとの出会いだ。幸せな物語は今も続いている。

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