猫と私 2

どれくらい走っただろう。車はぐんぐん山道を進んで、まるでアリエッティが出てきそうな素敵なお庭が広がる里親さんのお宅に到着した。

「この子です。わが家では忍者くんって呼んでるの。」

そう言って見せてもらった姿は、やはりブーたんそのもので、私たち夫婦は期待に胸を躍らせた。近くの山でやせ細った姿で弱っているところを保護してくださったとのこと。それにしても忍者くんとは?変わった名前だと思い、理由を聞くと「網戸によく張り付いているのよ(笑)」だそうだ。そのことに一抹の不安を覚えつつも、彼を引き取り家路についた。

これから始まる楽しい猫との生活の幕開けに、私は弾む心でケージを開いたのだが…。しばらく家の中をうろうろした後、トラはトイレに立て籠もった。トイレの隅でこちらと距離をとり、こっちに来るな、という気持ちを全力で伝えてきたのだ。

その日から、私の期待を打ち砕くようなトラとの生活が始まった。夜中になると野太い声で鳴き続け、顔を近づければ強烈な猫パンチをお見舞いされる。もちろん忍者くんの名の通り、網戸にだってしょっちゅう張り付いていた。嘘をついても仕方ないのでその時の気持ちを書くが、こんなはずではなかった…というのが正直なところだった。どうしたらトラとの距離を縮めることができるのか、もしかしたらずっとこのままなのだろうか、と頭を抱えたものだ。


そんなある日、キッチンで缶詰の蓋を開けたときだった。ものすごいスピードでこちらに走ってくるトラ。ニャオニャオと聞いたこともない甘えた声で鳴いたのだ。

あれ?と思った。里親さんからは「ドライフードしかあげていません」と聞いていたからだ。なんでこの子は缶詰の中に美味しいものがあることを知っているんだろうと。疑問とともに、言いしれない切なさで胸が苦しくなった。この子は里親さんに保護される前に、人と暮らしていたことがあるのかもしれない。

どんな事情かは知る由もないが、人の温もりを知っていた彼が、山奥で一人ぼっち、やせ細って身動きがとれなくなっていたのだ。その時初めて私は、私がこの子を幸せにしなくてはいけないんだと思ったし、こんな当たり前のことに気づくのに時間がかかってしまったことを申し訳ないと思った。


そこから、やっと私たちとトラの物語が始まったように思う。ほどなくして東日本大震災が起こり、なかなか家に帰れない夫をトラと車の中で身を寄せ合って待ったこと。長女が産まれると、ベビーベッドにトラが我が物顔で転がって眠っていたこと。楽しみにしていた鰻の蒲焼きをトラに横取りされて喧嘩したこと。思い出を書き出せばきりがないし、今も物語は続いている。

推定ではあるが、今年でトラは13歳になった。彼が私たちの頬をなめることは恐らくないだろうが、気づくと側にいて、なでたらゴロゴロと喉を鳴らす。幸せそうな寝顔を見られるだけで十分である。

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